山口小夜子とは?
1970年代初頭、ハーフモデル全盛のファッション業界で“日本人であること”を武器に、世界に闘いを挑んだ女性。
山口 小夜子(やまぐち さよこ、1949年9月19日 – 2007年8月14日)は、日本のファッションモデル、ファッションデザイナー。
出典 山口小夜子 – Wikipedia
日本人モデルの先駆けとして、1970年代に最も活躍したファッション・モデルです。
出典 山口 小夜子: 愛と正義とロックがあれば
山口小夜子(やまぐちさよこ)
妖艶な美しさ
1949年9月 横浜生まれ
身長170cm(公称)
京浜女子大学横浜高等学校卒業
杉野学園ドレスメーカー女学院卒業
1971年にプロのモデルとしてデビューし、高田賢三や山本寛斎のショーで注目を集める。1972年、パリコレクションにアジア系モデルとして初めて起用され、次いでニューヨークコレクションにも出演した。おかっぱ頭に切れ長の目で日本人ブームを起こした。
出典 山口小夜子 – Wikipedia
1977年 Newsweek が選ぶ「世界のトップモデル6人」にアジア人として始めて選出される。
出典 山口小夜子という美しさ FRIVOLITE
山口さんは、1970~80年代に資生堂の広告塔として化粧品や香水のポスターに登場した。世界的クリエーターでフランス人のセルジュ・ルタンス氏が手がけた作品は特に有名で、資生堂の名をパリに知らしめるとともに「日本の美」を世界に発信し、20世紀の広告史に残る作品となった。日本でもハーフなど西洋的なモデルがもてはやされた時代に、東洋の美を象徴するような山口さんの存在は日本女性の美を再認識させた。
出典 訃報:山口小夜子さん死去 : Y’s WebSite : Blog 〜日々是好日〜
おかっぱの黒髪に、切れ長の目を強調するような漆黒のアイラインとまぶたに差された紅、まるで日本人形に命を吹き込んだかのようなビジュアルは、強烈な日本美をファッション界に持ち込んだ。
出典 山口小夜子という美しさ FRIVOLITE
特にヨーロッパで人気が沸騰し、「SAYOKO マネキン」というマネキン人形が発売されたほどだった。現在でもアナスイニューヨーク店で使用されているという。
出典 山口小夜子 – Wikipedia
資生堂CMより
1973年、資生堂の専属モデルとなり、同社のCMに出演。その後も長くモデルとして活動しながら、ファッションデザインや服飾品のプロデュースも幾度となく担当。
出典 山口小夜子 – Wikipedia
1970年から80年代にかけて、山本寛斎をはじめ三宅一生、イヴ・サンローランなど、多くのトップデザイナーたちにとって、山口 小夜子はまさにミューズ(女神)といえる存在でした
出典 山口 小夜子: 愛と正義とロックがあれば
常連となったパリコレでは「東洋の神秘」とまでいわれ、ワールド・ワイドで活躍した彼女は、現在欧米ファッション界で活躍する日本人女性モデルの先駆け、まさに日本人ファッション・モデルの「偉大なる先駆者」でした
出典 山口 小夜子: 愛と正義とロックがあれば
晩年は自身を「ウェアリスト(着る人)」と名乗り活動。
出典 一人の写真家が見つめ続けた「小夜子」というミューズ。山口小夜子と横須賀功光の共同作品を一望する|美術手帖
身長は170センチとモデルとしては小柄な彼女でしたが、ステージに於けるあのゆっくりとした独特のウォーキングは寺山修司氏から学んだといわれ、モデルというよりは能楽など日本舞踊の表現者といった趣で他を圧倒し、ファッション・モデルの枠をこえてパフォーマーあるいはアーティストと呼ぶにふさわしい、まさにONLY ONEの存在でした
出典 山口 小夜子: 愛と正義とロックがあれば
――「着る」ということを考えるなら、私は地球上にあるものなら何でも着られるとおもう。光でも木でも飛行機でも壁でもビルでもテレビでも電気でも黒板でも着れるという自信がある。私はあらゆるものを着なくてはいけないんだとおもっている――
出典 山口小夜子という美しさ FRIVOLITE
「山口小夜子さんはプライベートでもほとんど笑うことのない、モデルの自分(独特の雰囲気)というものを確立していた人」
出典 めざせ!山口小夜子!: さくら剛の動物日記
「美しさは、外見や技術でなく、その人の内面からにじみ出るもので、日々の生活の中から生まれる。」
出典 めざせ!山口小夜子!: さくら剛の動物日記
講演にて発言されていたそうです。
「心や思いを大切に日々歩んでいくと、自然に背筋も伸びるかもしれない、相手に対する優しい笑顔も生まれるかもしれない、挨拶するときのお辞儀の仕方が丁寧になるかもしれない、自然に体から有難うという気持ちが生まれるかもしれない。それが、本当の美しさだと思う。」
出典 めざせ!山口小夜子!: さくら剛の動物日記
山口小夜子 資生堂CM
モデルオーディションを受けるたびに「髪を染めてパーマをかけ、外国人メイクにしなさい」と言われ続けた山口小夜子ですが、「日本人女性の美しさを捨ててまでもモデルになりたくない」と、自分のスタイルを変えることはありませんでした。
出典 山口小夜子の資生堂CMはファッション界を変えた!晩年の活動や孤独死を迎えた死因とは?
「着る、という意味では、地球上に存在するあらゆるものを着こなす自信がある」
出典 山口小夜子の資生堂CMはファッション界を変えた!晩年の活動や孤独死を迎えた死因とは?
自分の美に対する信条を「意図を排除して自分を無にすることから、本質に触れる」と表現
出典 山口小夜子の資生堂CMはファッション界を変えた!晩年の活動や孤独死を迎えた死因とは?
山口小夜子 NHK−BSシネマナビゲーション ②
2007年8月14日に急性肺炎のため死去していたことが、同年8月20日付の各社報道によって明らかになった。葬儀は親族だけで執り行われ、9月19日にお別れの会が開かれた。
出典 山口小夜子 – Wikipedia
著名人の山口小夜子評
マツコ・デラックス
「山口小夜子さんが資生堂のポスターになってるのを見て、恐ろしさというか、単純に綺麗というレベルじゃなかったわよね。狂気というか、怖いっていうか、悔しかったらここまで登って来なさい、ってのがあったよね」
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